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カルマパ17世 チベット脱出

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2000年1月17日
TINニュース

チベット亡命政権の公式スポークスマンによると、チベット仏教最高指導者の1人であるカルマパ17世(ウゲン・ティンレー・ドルジェ)がチベットを脱出し、1月5日にインド・ダラムサラに到着した。その14歳の少年は、チベット仏教4大宗派の1つのリーダーであり、ダライ・ラマ法王と中国当局両方から認められたチベット仏教初の活仏であるが、1月5日午前10時30分にダラムサラに到着したことが報告された。欧米のカルマパの信奉者たちによると、チベットの僧院から徒歩7日間歩き続けたそうである。

新華社通信は、カルマパがチベットの僧院を脱出したこと、脱出の理由として、先代カルマパが使用していた「仏教儀式用の楽器」と「黒帽」を手に入れるため出国する旨を書いた置き手紙を残していたと報告した。1月7日付の新華社通信はカルマパのその手紙の内容を挙げ、カルマパの「国家、国民、僧院、地位を裏切る」意図が今回の行動で分かったことを報告した。

チベット仏教カギュー派のリーダーであるカルマパは、チベットの宗教体系の中でも最高位にある高僧の1人である。彼が正式な許可を得ずにチベットを脱出しようとした決断は、亡命政府と中国当局にとって非常に象徴的なことである。ラサ近くのツルプ寺では、ウゲン・ティンレー・ドルジェが1992年カルマパ16世の生まれ変わりであると認定されてから、その少年の周辺警備は強化されていった。ラサの中国当局は、トゥルン・デチュン州にあるツルプ寺の現状に関する情報を出し、カルマパのインドまでの逃避行の詳細も明らかになった。

カルマパがインドに到着したとの知らせを受けてから中国当局が見せた警戒、そして彼らがカルマパを公然と非難しなかったこと、これらは近いうちにカルマパがチベットに戻ってくるという意見を中国が保持したいことを示唆している。カルマパ17世は先代16世が亡命中いたルムテク僧院へ赴き、(16世の師であった)シツ・リンポチェのシェラブリンカ僧院で一時過ごすだろうと欧米のカルマパ信奉者の中には報告する者もいた。しかし、チベット亡命政権からの公式発表では、少年の将来計画についてのコメントはない。

もしカルマパがインドにとどまり亡命ということになれば、チベットが信教の自由など権利と自由を十分享受していると首尾一貫して主張している中国はかなり困惑することになるだろう。チベットを去った最近の4大宗派のリーダーにアギャ・リンポチェがいる。アギャ・リンポチェは青海省にあるクンブム僧院の僧院長だったが、1998年に亡命した。

カルマパ17世は、1992年の即位以来、チベットを出てインドにいる師を訪ねることが許されなかった。認定式の時には、先任のカギュー派僧侶シトゥ・リンポチェ(カルマパ転生者発見における中心的人物)など宗教指導者との面会を中国当局から保証されていたにも関わらずである。同様にシトゥ・リンポチェなどの高僧に対しても、若いカルマパの宗教教育において重要な人物であるにも関わらず、ツルプ僧院にいるカルマパを訪問することに許可は下りなかった。

TINの情報によると、チベット内のダライ・ラマ支持にダメージを与えるためカルマパを政治目的に利用する中国の企てではないかとチベット人たちがしばらく危惧していたらしい。

カルマパは2回目の中国周遊中に連れ出され、江沢民を含むさまざまな中国首脳と会っている。数年前、カルマパが中国人民政治協商会議(CPPCC)議長の李瑞環など中国人官僚と北京で会談した後、要人を前にした演説で「愛国教育を受けた」、さらに江沢民の教えに従い「祖国統一のために一生懸命活動する」と述べたことなどが北京発信の雑誌「中国のチベット:China’s Tibet」に掲載された。それによると、李瑞環はカルマパの「健全な成長」と「進歩」がチベットの発展と安定に大きな影響を与えるだろうとも発言した。

カルマパは、1994年10月1日北京での中華人民共和国建国記念に名誉来賓として招かれ、その際初めて中国を周遊したが、ツルプ僧院ではそれが抗議運動の引き金となったようだ。亡命チベット人の情報ソースによると、同年暮れにカルマパのインド訪問を許可しなかった中国政府を告発し、僧院の運営委員会(中国側は「民主的管理委員会」とも呼んでいる。)を批判したビラが貼り出された。また、僧侶たちが運営委員会所有の車に石を投げつけるという事件も起きた。1995年初め、少なくとも6人のツルプ寺の僧侶がこれらの事件に関与したとして拘留された。ニマ・テンジンとコンチョック・ティンレーとドクギュ・チョペルは2年間の労働改造所行き、カルマ・リンチェンとダンドンは6ヶ月の労働改造所行きの判決が下され、ダワは2週間拘留された。

カルマパ17世は、中国認定のパンチェン・ラマ11世ギャルツェン・ノルブ少年に、少なくとも2度会っている。最初は19955年の中国認定パンチェン・ラマ即位式で、報告によるとカルマパは6歳のノルブ少年の前でひざまずくことを強要されたようだ。2度目は1997年7月で、カルマパはシガツェへノルブ少年に会うため連れ出された。1999年8月25日付の新華社通信は、カルマパ17世が毎日1時間の問答などを含む仏教の基本教義に学習の大部分の時間を割きこのほど修了した、と報告した。